日本の神話に登場する、光り輝く神々の世界「高天原(たかあまのはら)」。
この言葉を知ると、ふと疑問が湧きませんか?
「光があるなら、闇もあるはず。高天原の『反対側』の世界って、一体どこなんだろう?」
その鋭い疑問、大正解です!神話の世界には、高天原とは正反対の、暗く、恐ろしい地下世界がちゃんと存在するんです。
この記事では、高天原の対極に位置する世界「黄泉の国(よみのくに)」について、その正体と、神話に描かれた悲しい物語を、分かりやすく解説していきます。
この光と闇の世界観を知れば、日本の神話が持つ奥深さに、もっと引き込まれること間違いなしです!
まずはおさらい!光の世界「高天原」
天照大御神が治める天上の理想郷
本題に入る前に、高天原について簡単におさらいしましょう。
高天原は、太陽神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)を中心に、数多くの神々(天津神)が暮らす、天上の世界です。
そこは、光と秩序に満ちた、平和で豊かな理想郷として描かれています。
神話における「生」や「善」、「清浄」といったポジティブな概念を象徴する場所、それが高天原です。
結論!高天原の反対は「黄泉の国(よみのくに)」

さて、いよいよ本題です。高天原の反対に位置する世界、それは「黄泉の国(よみのくに)」と呼ばれています。
死者が行く、暗闇の地下世界
黄泉の国は、高天原が天の上にあるのとは対照的に、地下深くにあるとされる世界です。
そして、最も重要な特徴は、ここが「死者の国」であるということ。
神も人も、死んだ後に行き着く場所とされ、光の差さない、暗く、不浄な場所として神話に描かれています。
「死」や「悪」、「穢れ(けがれ)」といった、高天原とは真逆のネガティブな概念を象徴する世界なんですね。
もう一つの対比「葦原の中つ国」
ちなみに、神話の世界は、大きく3つの階層で考えられています。
一番上の「高天原」、そして一番下の「黄泉の国」。
その中間に位置するのが、私たち人間が住む地上の世界「葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)」です。
この三層構造を頭に入れておくと、神話の物語がぐっと理解しやすくなりますよ。
黄泉の国を巡る、イザナギとイザナミの悲劇
黄泉の国が神話に登場する有名なシーン
黄泉の国がどんな場所かを知る上で、絶対に欠かせないのが、国生みの神であるイザナギとイザナミの悲しい物語です。
妻のイザナミは、火の神を産んだことで大やけどを負い、死んで黄泉の国へ行ってしまいます。
夫のイザナギは、どうしても彼女に会いたくて、黄泉の国まで追いかけていくのです。
決して覗いてはならぬ、という禁忌
黄泉の国の入り口で、イザナギはイザナミと再会します。「一緒に帰ろう」というイザナギに、イザナミは「黄泉の国の神様に相談してきます。その間、決して私を見ないでください」と告げます。
しかし、待ちきれなくなったイザナギは、櫛に火をともして中を覗いてしまいます。そこで彼が見たのは、腐ってウジがわき、変わり果てた妻の恐ろしい姿でした。
約束を破られ、醜い姿を見られたことに激怒したイザナミは、鬼女(黄泉醜女)にイザナギを追いかけさせます。
高天原が「秩序」の世界であるのに対し、黄泉の国は「混沌」と「禁忌」の世界です。一度死の世界に属したものは、生の秩序の世界には戻れない。この物語は、神話における生と死の厳格なルールを象徴しています。
生者と死者の世界の完全な断絶
命からがら逃げ切ったイザナギは、黄泉の国と地上世界の境目である「黄泉比良坂(よもつひらさか)」を巨大な岩で塞ぎ、完全に道を閉ざしてしまいます。
この瞬間、生者の世界と死者の世界は、完全に行き来ができないように分かたれたのです。
まとめ:光と闇の対比が、神話の世界を奥深くする

高天原の反対の世界、黄泉の国について、ご理解いただけたでしょうか?
・高天原:天上の「生」と「光」の世界。
・黄泉の国:地下の「死」と「闇」の世界。
この鮮やかな対比こそが、日本の神話の世界観に深みと奥行きを与えています。
イザナギが黄泉の国の穢れを洗い流すために「禊(みそぎ)」を行ったことから、天照大御神をはじめとする三貴神が生まれたという物語も、非常に象徴的です。
死と穢れを知ったからこそ、そこから聖なるものが生まれる。
ただの勧善懲悪ではない、この複雑で奥深い世界観こそ、日本の神話が持つ最大の魅力なのかもしれませんね。

コメント