「神社はお願いをする場所ではなく、感謝を伝える場所だ」
最近、本やSNSでこんな言葉を目にすることが増えました。確かに、とても立派で美しい考え方だと思います。
でも、本当に辛い時や、どうしても叶えたい夢がある時、神様の前で「ありがとうございます」とだけ言って立ち去るのは、なんだか少し寂しく、自分の心に嘘をついているような気がしませんか。
「欲張りだと思われたくないけれど、本当は助けてほしい」
「お願い事をしたら、見返りを求めすぎだとバチが当たるのかな」
そんな風に迷ってしまう方へ。私は、「お願い事をしてはいけない」とは思いません。ただ、神様にその願いをどう届けるかという「作法」を変えるだけで、参拝後の心の持ちようが劇的に変わることに気づきました。
この記事では、依存せず、かつ素直に神様を頼るための、私なりの言葉の選び方について綴ります。

なぜ「しないほうがいい」と言われるのか
そもそも、なぜ「お願いごとはNG」という説があるのでしょうか。それは、多くのお願いが「依存(丸投げ)」になりがちだからではないかと思います。
「クレクレ」マインドへの戒め
「お金が欲しい」「恋人が欲しい」「嫌な上司をどこかへやって」
こうした願いの根底にあるのは、「今の自分には何かが欠けている」という不足感と、「(自分は動かないから)神様の力でなんとかしてほしい」という依存心です。
また、お賽銭を入れて「お願いしたんだから叶えてよ」と取引のような気持ちでいると、叶わなかった時に「効果がなかった」と不満を持つことになります。これが、「お願い事をしないほうがいい(=期待しすぎて心を乱すから)」と言われる理由の一つでしょう。
私が実践する「お願い」を「誓い」に変える変換術
では、どうすればいいのでしょうか。私は、お願い事の主語を「神様」から「私」に変えるようにしています。これだけで、単なるおねだりが、力強い「決意表明(誓い)」に変わります。
「〜してください」から「〜します」へ
例えば、こんな風に言い換えてみます。
- 縁結びの場合
×「素敵な人と出会わせてください」
◯「素敵なご縁に気づけるよう、自分を磨きます。どうぞ良いタイミングでお導きください」 - 仕事の場合
×「プロジェクトを成功させてください」
◯「チームのために全力を尽くします。実力を発揮できるよう、見守っていてください」
「私は自分で歩きます。だから、転びそうな時だけ少し手を貸してください」。そんな自立した姿勢を見せられると、神様も「よしよし、応援してやろう」という気持ちになるのではないか。勝手ながら、私はそう想像しています。
心が安定する参拝の黄金比「感謝8:願い2」
参拝の際、いきなり自分の要望をまくしたてるのではなく、話す順番とバランスも意識しています。
まずは「生存報告」から
最初に伝えるべきは、やはり感謝です。といっても、難しく考える必要はありません。
「今日、ここまで無事にたどり着けました。ありがとうございます」
「最近、少し忙しいですがなんとかやっています」
そんな「生存報告」を心のなかで呟いていると、不思議と心が落ち着いてきます。願い事を切り出すのは、心が凪いでからです。
全体の8割くらいを現状の報告と感謝に使い、最後の2割で「実は今、これを目指しています」とそっと誓いを添える。これくらいのバランスが、執着しすぎず、一番心が安定すると感じています。
日常で「誓い」を忘れないために
神社の前で立派な誓いを立てても、忙しい日常に戻ると、ついその決意を忘れてしまったり、不安に負けそうになったりすることもあります。
だからこそ、私は参拝の後に「誓いのアンカー(錨)」となるアイテムを持つようにしています。「これを見るたびに、あの時の気持ちを思い出す」というスイッチのようなものです。
お守りや護符は、神様の力に頼るだけでなく、自分自身との約束を守るためのツールでもあります。
- 「自分で現状を変える」と決めた方へ
仕事の環境を変える、新しいキャリアに進む。その決断を行動に移すための具体的な一歩を。
ツナグバ 転職・パートナーズ目標に向かってブレずに進みたい、仕事での成功を誓う方に。
仕職護符 - 「良縁を育てる自分になる」と誓った方へ
焦りや不安を手放し、穏やかな心で出会いを待ちたい時に。
恋愛護符 - まずは心身の土台を整えると決めた方へ
頑張るための資本は、健康な心と体です。
健康護符
ご祈祷済「浄化塩」
まとめ:神様はあなたの「親」のようなもの
「お願い事をしてはいけない」と自分を律しすぎる必要はありません。
親御さんなら分かるかもしれませんが、子供に「あれ買って!これやって!」と駄々をこねられると困りますが、「僕、サッカー頑張るから試合見に来て!」と言われたら、全力で応援したくなりますよね。
神様もきっと同じです。素直に願い、同時に自分の足で歩く覚悟を見せる。それが、一番美しく、そして一番応援される参拝の姿なのだと思います。


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