高天原と仏教の深い関係!アマテラス=大日如来?「神仏習合」で変わった日本の世界観

高天原

神社とお寺、昔は「一緒」だったって本当?

私たちは普段、初詣には神社へ行き、お葬式はお寺で……と、神道と仏教を自然に使い分けています。
しかし、歴史の授業で「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という言葉を習ったことを覚えていますか?

実は明治時代になるまでの千年以上もの間、日本では「神様(高天原)」と「仏様(極楽浄土)」は、混ざり合って区別がつかない状態でした。
むしろ、「高天原の神様は、実は仏様が姿を変えて現れたものだ」という考え方が主流だったのです。

今回は、少し難しいけれど知ると抜群に面白い「高天原と仏教の関係」について解説します。これを読むと、京都や奈良の古寺、そして地元の神社の見え方がガラリと変わるはずです。

高天原の神様は「仏様の変身」だった?(本地垂跡説)

仏教が日本に伝わった当初、日本古来の「高天原の神々」と、新しく来た「仏教の仏たち」をどう折り合いをつけるかが大問題になりました。

そこで平安時代頃に生まれたのが、「本地垂跡(ほんじすいじゃく)説」というウルトラCの解釈です。

「本体」と「アバター」の関係

簡単に言うと、こういう理屈です。

  • 本体(本地):宇宙の真理そのものである「仏様」。
  • 仮の姿(垂跡):日本人を救うために、馴染み深い姿で現れた「神様」。

つまり、「高天原の神様たちは、実は仏様が日本用に変身したアバター(仮の姿)なんですよ」としたのです。
これにより、人々は「仏様を拝むことは、神様を拝むことと同じ」と納得し、神社の中にお寺を建てたり(神宮寺)、お坊さんが神社でお経を読んだりする不思議な風景が当たり前になりました。

衝撃!「アマテラス」と「大日如来」の同一視

この神仏習合の中で、最も象徴的なのが、高天原の最高神である天照大御神(アマテラス)と、密教の最高仏である大日如来(だいにちにょらい)の同一視です。

「太陽」つながりのスーパーコラボ

アマテラスは「太陽神」ですよね。一方、大日如来もその名の通り「大いなる日(太陽)」を意味し、宇宙の光を象徴する仏様です。
昔の人々は考えました。「名前も性質も似ている……ということは、アマテラスの正体(本地)は大日如来に違いない!」と。

この解釈により、伊勢神宮のアマテラスと仏教の大日如来はセットで信仰されるようになりました。
高天原という漠然とした「空の世界」が、仏教の「曼荼羅(マンダラ)」のような、緻密で哲学的な宇宙観とリンクした瞬間です。

私はこの話を知ってから、大日如来像を見ると「ああ、この奥に古代のアマテラスの姿が重なっているんだな」と感じるようになり、仏像鑑賞が数倍楽しくなりました。

仏教が「高天原」に与えたビジュアル革命

仏教が入ってくる前、神道には「神様の像(ご神像)」を作る習慣があまりありませんでした。
神様は目に見えない自然のエネルギーそのものだったからです。

しかし、仏教の美しい仏像や絵画が入ってくると、神道側も影響を受けます。
「私たちのアマテラス様や八幡様も、あんなふうに立派な姿で描きたい!」

そうして作られ始めたのが、平安時代の貴族のような格好をした「僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)」などの神像です。
私たちが今イメージする「着物を着た神様のビジュアル」の多くは、実は仏教美術の影響を強く受けて確立されたものなのです。

なぜ今は「神社」と「お寺」が分かれているの?

「そんなに仲良しだったのに、なんで今は別々なの?」と思いますよね。
それは、明治時代に出された「神仏分離令」のせいです。

明治政府が「日本古来の神道を国の宗教にするぞ!」と決めたため、お寺と神社は無理やり引き剥がされてしまいました。
その際、多くの貴重な仏像や資料が失われてしまいましたが、それでもなお、私たち日本人の心の中には「お正月は神社、お盆はお寺」という、緩やかな習合の感覚が残っています。

まとめ:混ざり合った歴史こそが日本の深み

高天原と仏教の影響について解説しました。

  • 神様は仏様のアバターだとする「本地垂跡説」が信じられていた。
  • アマテラスと大日如来は同一視されていた。
  • 今の神様のビジュアルは、仏教美術の影響を受けている。

純粋な神話の世界も素敵ですが、異文化(仏教)と出会って変化していった歴史もまた、日本の文化の面白いところです。
今度、古い神社に行ったとき、もし境内に「鐘楼(お寺の鐘)」や「三重塔」が残っていたら、それはかつて高天原と極楽浄土が仲良く共存していた証拠です。ぜひ探してみてくださいね。

関連情報:高天原と黄泉の国の関係は?イザナギの「離婚」が生んだ人間の寿命と生死のルール

コメント

タイトルとURLをコピーしました