高天原と稲作の関係は?天孫降臨で持ち込まれた「稲」が日本文化を作った話

高天原

日本が「瑞穂の国」と呼ばれる本当の理由

日本の美称として「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」という言葉を聞いたことはありませんか?

これは「植物の葦(あし)が豊かに茂り、みずみずしい稲穂が実る国」という意味です。
なぜ、日本はこれほどまでに「稲(お米)」を国のアイデンティティとしているのでしょうか。

その答えは、日本の建国神話である「天孫降臨(てんそんこうりん)」に隠されています。
実は、高天原の神様が地上を治めるために降りてきたとき、最強の武器として持ってきたのは、剣でも魔法でもなく、なんと「稲穂」だったのです。

今回は、高天原と稲作の決定的な関係と、そこから生まれた日本独自の文化(お祭りや相撲など)について解説します。これを読むと、日本の風景が少し違って見えてくるはずです。

高天原からのお土産は「お米」だった

アマテラスの孫であるニニギノミコトが、高天原から九州の高千穂に降り立った「天孫降臨」。
この時、アマテラスはニニギにある重要な命令(三大神勅)を与えます。

斎庭(ゆにわ)の稲穂の神勅

その中の一つが、「斎庭の稲穂の神勅」です。
アマテラスは、「高天原にある神聖な田んぼで作っている稲を、地上でも同じように育てて、国を豊かにしなさい」と言って、稲穂を授けました。

これが意味するのは、単なる農業指導ではありません。
「狩猟や採集で不安定な生活をしている地上に、安定して食料が手に入る『稲作』というシステムを持ち込み、平和な国を作りなさい」という、国家プロジェクトのスタート宣言だったのです。

私はこの話を読んだとき、「武力で征服するのではなく、食料で民を幸せにすることで国を治めようとした」という点に、日本神話の優しさと賢さを感じました。

神話と歴史がリンクする?「弥生革命」

面白いことに、この神話は実際の日本の歴史とも見事にリンクしています。

考古学的に見ると、日本は縄文時代(狩猟採集)から弥生時代(稲作)へと大きく変化しました。
神話における「高天原から稲作が持ち込まれた」というストーリーは、大陸から渡来人によって稲作技術が伝わり、社会が劇的に変わった歴史的事実を反映しているのではないか、とも考えられています。

高天原とは、当時の人々にとっての「先進技術(稲作)を持った理想郷」だったのかもしれません。そう想像すると、神話が単なるおとぎ話ではなく、ご先祖様たちの「文明開化の記録」のように思えてきませんか?

お花見も相撲も!日本文化はすべて「稲作」でできている

高天原から始まった稲作は、私たちの文化や娯楽の根幹も作りました。
実は、私たちが大好きなあんなイベントやこんなスポーツも、元を辿ればすべて「お米」のための儀式なのです。

1. 「お花見」は秋の収穫の予行演習

春になるとみんなでお花見をしますが、あれはただ桜を見て騒いでいるわけではありません。
「サ(神様)がクラ(座る場所)」である桜の下で、秋に稲がたわわに実る様子を桜の花に見立て、先にお祝いしてしまう「予祝(よしゅく)」という儀式がルーツです。
「今年もこんなに満開に咲いたね(=秋もお米がたくさん獲れるね)」と先に喜ぶことで、現実を引き寄せようとしたのです。

2. 「お祭り」と「お神輿」

夏祭りや秋祭りの多くは、台風や害虫から稲を守るため、あるいは収穫を神様に感謝するためのものです。
お神輿(みこし)を担いで町を練り歩くのは、神様の力を土地全体に行き渡らせ、豊作を祈願する意味があります。

3. 国技「相撲」

相撲も、元々は力自慢のスポーツではなく、神事でした。
大地を力強く踏みしめる「四股(しこ)」は、土の中の邪気を払い、大地の精霊を目覚めさせて豊作を促す儀式です。
だから、横綱は神様の依代(よりしろ)として注連縄(しめなわ)を締めているのです。

まとめ:お米を食べることは、歴史とつながること

高天原と稲作の関係についてご紹介しました。

  • 天孫降臨の最大のミッションは「稲作の普及」だった。
  • 日本が「瑞穂の国」と呼ばれるのは、稲作で国づくりをしたから。
  • お花見や相撲など、日本文化の多くは稲作儀礼がルーツ。

私たちが毎日お米を食べ、春に桜を愛で、秋にお祭りを楽しむ。
その一つ一つの行動の中に、高天原から続く数千年の祈りと歴史が息づいています。
次に白いご飯を食べるときは、遠い昔にニニギノミコトが空から持ってきた「黄金の稲穂」を想像して、少しだけ誇らしい気持ちで味わってみてくださいね。

関連情報:高天原と農業の関係は?神話からお米のルーツを知って毎日の食事が変わった話

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