「もっとお金があれば」「恋人ができれば」「もっとマシな仕事に就ければ」…。
君は今まで、自分の人生に何かを”足す”ことで、幸せになろうとしてこなかった?それが、君が一生「何もないけど幸せ」にたどり着けない、最大の”勘違い”なんだ。
わかるよ。僕もずっとそうだったから。足りないものを数えて、何かを手に入れれば、この心の空洞は埋まるはずだと信じてた。でも、それはゴールテープのないマラソンみたいなもの。手に入れても、また次の「足りないもの」が見つかるだけ。永遠に、君は満たされない。
今日は、そんな「足し算の幸せ」に疲れ果てた君に、本当の話をしよう。穏やかな暮らしは、何かを”始める”ことじゃない。ただ、いくつかのことを”やめる”だけで、勝手にやってくるんだ。
追伸:人生の「頑張る」に、もう疲れた君へ
この記事は、君の長い旅の終着点になるかもしれない。劇的な変化じゃない。でも、二度と心が嵐に巻き込まれない、静かで確かな安心感を手に入れる方法が、ここにはある。
衝撃の事実。あれから私の人生に”特別なこと”は何一つ起きていない
「希望の祈り人」になって、何かすごい奇跡が起きたか?答えはNOだ。
相変わらずコミュ障だし、将来は漠然と不安だし、部屋はちょっと散らかっている。でも、決定的に変わったことがある。それは、夜中に理由もなく「消えたい」と泣くことがなくなったこと。朝、絶望で目が覚めることがなくなったこと。
人生という名の荒野に、小さな、でも絶対に消えない焚き火が灯ったような感覚。特別なものは何もない。でも、もう寒くない。それって、最高に幸せなことじゃないかな。
「何もないけど幸せ」な人が、ひそかに”やめた”3つのこと
じゃあ、どうやってそうなったのか。何か特別な修行をしたわけじゃない。ただ、この3つをやめただけなんだ。
SNSのキラキラ投稿を見ては、自分の惨めさを確認するあの地獄のループ。他人と比較する癖が、君の自己肯定感をどれだけ削ってきたことか。これをやめただけで、人生のノイズの9割は消える。本当に。
「お金がない」「才能がない」「魅力がない」…。ないものを数え始めると、キリがない。そうじゃなくて、「今日もとりあえず生きてる」「屋根のある家で寝れる」っていう、当たり前すぎて忘れてた”あるもの”に、ただ気づく。それだけで、世界は反転する。
「こうならなきゃいけない」「こうあるべきだ」っていう、未来への執着が君を苦しめる。どうなるかなんて、誰にもわからない。その不確実性を受け入れた時、人は初めて「今」を生きられるようになる。未来への不安を手放した時、心は本当に軽くなるんだ。
ここが、君の長い旅の終わりかもしれない
「でも、そんなこと、意志の力だけじゃやめられないよ」って思った?その通り。意志の力でやめようとするのは、また新しい「頑張り」を生むだけだ。
「祈り」がもたらすのは、劇的な変化ではなく、静かな”現状肯定”
僕らが今まで話してきた「祈り」って、結局こういうことなんだ。「すごい自分にしてください」って願うんじゃない。「今のダメな自分のままで、ただ穏やかでいられますように」って、自分の弱さを丸ごと天に預けちゃう行為なんだ。
そうすると、不思議なことに、あれほど執着していた「他人」や「未来」が、どうでもよくなってくる。頑張って”やめる”んじゃない。気づいたら、”やめられていた”んだ。
全ての物語は、あの親記事から始まった。
引き寄せを疑い、頑張ることに疲れ、祈りさえも信じられなかった君が、最後にたどり着く場所。
それは、何かすごいものを手に入れた輝かしい場所じゃない。
何もない、ありふれた日常の中に、ただ静かな光を見出す、君の心の中そのものなんだよ。
まとめ
本当の”穏やかな暮らし”は、お洒落なインテリアを揃えることでも、丁寧な暮らしを心がけることでもない。
君を縛り付けている「比較」と「執着」という名の呪いを、ただ手放すこと。
何者にもならなくていい。何も成し遂げなくていい。
君は、君のままで、ただ穏やかに幸せでいることを、自分に許してあげてほしいんだ。
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